アキタ朝大学コミュニティ研究室(仮)→略して「コミュ研」を開設します。3.11以降、被災地での復興活動を見るとコミュニティのつながりの大事さ、それの持つ力の可能性を再認識させられます。 また、それ以前から、少子高齢化の秋田ではいかに地域コミュニティを維持していくのかが大きな課題になっていました。
その一方、インターネットの世界はどんどんソーシャルな方向に進化していて、その動きは地域コミュニティの定義をも変えてしまいしまう可能性を持っています。
今ってコミュニティについて再考する良い機会なんじゃない?というわけで、今後アキタ朝大学のブログやツイッター、実際のワークショップなどを通じてみんなで意見交換する機会をつくっていきたいと思います。
今回は最初の企画として、秋田出身で島根県の海士町(
海士町について)在住の秋元悠史さんに「コミュニティ」をテーマにコラムを書いて頂きました。このコラムは全4回で完結する予定ですので、これから一週間おきに連載でご紹介したいと思います。
@kamioka 1.日本海に浮かぶ離島から島根県松江市からフェリーで60kmほど北上したところにある、隠岐諸島。その中の海士町という島に東京から移ってきてから、半年以上が経った。
なぜここに来たのかを理路整然と説明するのは、未だに難しい。
「ボールが飛んで来たのでとりあえずバットを振ったら、当たってしまった。だから走るしかなかった。」とお茶を濁すことにしている。
きっかけは、
Twitterだった。
大量の情報が流れるTLの中で、たまたま見かけた一つのつぶやき。
「高校魅力化プロジェクトのスタッフを募集しています。」
思いがけず目の前に放り込まれたそのボールは、きっとそのときの僕にとっては絶好球だったのだと思う。
特に気負いもなく、ごく自然なスイングの後に走り出してみたが、とりあえず出塁することには成功したみたいだ。
こう見えて、東京在住時から「30歳までに秋田に帰る!」と宣言していたものだ。
そんな僕を知っている周囲からは「とうとう秋田を捨てたか」と冗談を言われながら、はるばる海士町へとたどり着いた。
ところが、秋田に移動するだけで一日がかりにもなる離島にいながら、ふとしたときには秋田のことばかり考えている。
目下最大のテーマが「どんな形で秋田に帰るか」であることに、"今のところ"変わりはない。
2.海士町にある暮らしを見つめる先に海士町は人口約2400人。
そのうち約10%をIターン(※出身地と異なる地方に移住する人)が占めている、と言われている。
本土に移動するためには片道3時間ほどのフェリーに乗らなければならず、町内にはコンビニもスーパーもない。
20時以降になると商店は閉まってしまうので、空腹を抱えたまま夜を越すという失敗を僕も何度か犯している。
島の暮らしは僕らがイメージする「コミュニティ」の要素を色濃く保持しているように思う。
通りがかった人に挨拶をすればたいてい返してくれるし、住民の皆さんは当然ながら顔見知りばかり。
すれ違いざまに一言二言交し合うのも日常の風景の一つとなっている。
弊害もないことはない。島の高校生は、恋愛が「親公認」どころか「島公認」になってしまう、と嘆いていた。デートすら一仕事だ。
島の暮らしを何気なく観察しながら、秋田での18年間の記憶と照らし合わせる、思いを巡らせている。
「海士町のこの部分を僕の地元に持ち帰ったら、どうなるだろうか?それは実現可能だろうか?」
地元とは異なる条件下で営まれているコミュニティの中にいながら、考えること。
「僕が地元に帰ったらどんな暮らしがしたいのだろう?」
いつからか考えるようになったこの問いに対して、海士町というステキな島は実に様々な気付きを与えてくれる。
3.「コミュニティ」に僕が関心を持つ理由「将来は地元に帰る」ということをなんとなく思い始めてから、「じゃあどうやって僕は地元に貢献できるのか」ということが関心ごとの一つとなった。
元々は教員志望で秋田を飛び出して、大学で教員免許も取得したわけだけれど、「教員?ちょっと待てよ」と思い直したあたりから、「教員になること」は「地元への貢献の仕方」という一大テーマにその座を奪われた。
(ちなみに海士町では公営塾の事務を携わりながら、昔取った杵柄で高校生に勉強を教えたりもしている)
地元への貢献ということを考えたとき、無視できないのが「地域活性化」という言葉。
今やほとんどバズワードに成り下がっている感もあり、僕はこの言葉の八方美人振りにはずいぶん懐疑的になっている。
僕は地元が一大観光地になり、地域にお金が入り、雇用が生まれ…というようなことを特に望んでいない。
秋田を離れた身として、今も地元で暮らす人たちを差し置いて"あるべき姿"を描くということはちょっと気が引けるというのもある。
それよりも、自分自身が地元で営む暮らしの理想像を描くことの方が、「帰り方」を模索している僕にとってはちょうどいい。
僕自身もそうだし、家族も、友人も、日々関わる人も、それぞれが当たり前に日々を送ることのできる地域。
当然、暮らしの中には自分以外の人とのかかわりが含まれているし、それも僕の関心の射程範囲内にある。
そうした"身の周りのこと"を考える上で、「コミュニティ」というテーマは、単位としてもちょうど思い描くものにフィットするサイズだった。
僕が望むライフスタイルと地元という環境を、「コミュニティ」という観点から捉え、結びつけてみる。
それが僕にとって理想とする暮らしを描く近道になるのではないか、という思いが、「コミュニティ」について考えるモチベーションになっている。
4.WE LOVE AKITAという現象2009年1月末、ちょうど都内の大学を卒業する直前、卒論を書きながらはじめて独学でWEBサイトを制作した。
わげものが、変わる~WE LOVE AKITA首都圏にいながら、故郷・秋田のことを思う若者たちの集まり、WE LOVE AKITA(以下、WLA)。
大学入学当初にお世話になっていた寮の同期二名を中心に始まったこの活動に、僕はWEB担当として末席を汚させてもらった。
(海士町に移住するにあたり、現在はWEBサイトの運営は代表に丸投げしている)
2009年4月からは晴れて社会人となったが、ファーマーズマーケットプロジェクトをはじめ、WLAの活動にはできるかぎり参加していた。
僕の社会人生活は当初から平日→仕事、土日→WLAが基本的なリズムとなっていたが、それは僕にとってちょうど良いものだった。
何らかの形で秋田に関われているという実感があるから、秋田となかなか直結させにくい会社の業務も頑張れる。
仕事自体は楽ではなかったけれど、どうやら二足の草鞋を履いているくらいが適当らしいということを肌感覚で掴んだ。
WLAでの活動に参加することで、理想とするライフスタイルのヒントを得られたという実感がある。
ちなみに海士町でも、仕事の合間を縫って友人から依頼されたWEBを作ったりしている。
仕事だけに閉じた生活は、きっと僕にとっては逃げ場も発散の機会もなく、窮屈なものなのだろう。
WLAに集う人たちに目を向けてみると、参加したきっかけは人それぞれで、かかわり方も個々人の裁量にゆだねられていて、面白い。
価値観も出身地もバックグラウンドもそれぞれ異なっている。共通するのは「秋田が好き」という思いだけ。
具体的な目標の設定や課題解決に設定しないことで運営も取り組みものんびりと議論しながらの進行だけど、その分多様な人が集まる隙間があって、結構楽しい。
各方面でそれぞれネタや案件を持ち寄ってわいわいと進めていく手作り感覚は、大学時代にも会社にもなかった自由度と魅力があった。
秋田というキーワードを介することで生まれた出会いも数多く、それだけでも面白かったのだけれど、ふと周りを見てみると、「四国」とか「山形」とか「鳥取」とか、他地域のコミュニティが形成されていることに気付かされた。
HIP - Home Island ProjectGLY Projectオフィシャルホームページ - ‐GLY Project‐山形まざっびゃあ!!トライトリビュートプロジェクト(TTP)これらの活動の共通項として、例えば以下のような点が挙げられる。
・地域を何らかの形で「盛り上げる」活動を行っている
・ワカモノが中心となっている
・都市部など、対象地域外でで生活をする人が運営に参画している
・他のコミュニティと柔軟にコラボできる
・参加者同士の出身校や所属企業は必ずしも共通していない
・参加者のほぼ全員が自主的に参加している
なぜ、このようなコミュニティが「都市部」の「ワカモノ」の間で注目され、実際に行動が起こっているのだろうか。
図らずも一連の現象の当事者としてWLAに参加している僕は、俄然興味を持つようになった。
(続く…)→[
5.一冊の本との出合い]
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