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「秋田のインフラと産業について思う」(後藤拓也さん-Shanghai)



「秋田のインフラと産業について思う」 ~上海最前線から~

皆さん、こんにちは。
私は後藤拓也と申します。
この度、アキタ朝大学の企画としてリレーコラムを出筆することになりました。

コラムの始めに簡単に自己紹介をさせて頂きたいと思います。
1978年2月、秋田市に生まれた後、県南の羽後町で育ち、高校卒業までは秋田県内に住んでいました。
東京都内で営業マンとしてビジネスキャリアをスタートさせた後は、マーケティング職としてビジネス経験を積んで参りました。
現在は上海で貿易商社に勤め、ここ上海で生活しております。

後藤拓哉さん(442px)
(後藤拓也さん)

このコラムは、同じく上海在住でリレーコラムを書かれている早川氏との出会いがきっかけでした。
私は仕事柄多くの日本商品の貿易・販売に携わってます。
先日、秋田産品を持参して早川氏にご訪問頂いたのが最初でした。
私は、上海で多くの地方物産を担当しながら、生まれ故郷の秋田産品とはまったく縁がありませんでした。
上海で初めて進出を考えている秋田の商品を見た時は、「やっと出会えたね」と、どこかの芸能人のような口説き文句を掛けたくなった。
その日、会議室には4名全員が30過ぎの男で、まったくロマンチックではなかったのだが(笑)。
秋田の商品が東北を越えて海を越えて、上海にあるということが、内心とても嬉しかった。

秋田を思い出す光景の一つが、幼少の頃、八橋球場のすぐ裏手が自宅だった。夏の甲子園予選だったのだろう。球場の歓声が日吉神社の脇の小さな公園に届いていた。
その小さな公園は、私の1番最初の小さなコミュニティーだった。近所の子供たちがみんな一緒に遊んでいた。
あの時の記憶はきっと一生忘れないだろう。
あれから28年。私は、いま上海にいる。

私が上海に来た目的を伝えておきたいと思います。
私は都内のマーケティング会社に勤務していた頃、某省庁の仕事を担当した事がありました。
日本に新たな産業を作るプロジェクトに研究員として参加していました。
その時に思ったのが、いったい、日本の将来のためにいくつ産業を作れば良いのだろうか?
私のような凡人に出来る事はもっと別のことではないかと。
景気の一時的な回復はあっても、長期的な国内需要の回復は見込めない。
外貨を稼がなければ日本を維持することは出来ない。
その結果が日本の商品を海外で売る事だった。

「そうだ!中国へ行こう!」
そう思った?のがきっかけでした。

そんなこんなで上海に来て、日本商品を貿易・マーケティング・販売の仕事をしています。
現場を知らずして物は売れない。それは日本にいた頃からのマーケッターとしての私の信念でもあったため、
消費者に最も近いBtoCの販売現場まで携わる仕事もしています。
とはいえ、私の仕事内容は最近では、何でも屋になっています。
貿易実務・コンサルタント・マーチャンダイザー・市場開発・商標登録や化粧品批准許可書の申請業務と、
多岐に渡ります。

そのような仕事柄、現在進行形の中国現場をこのコラムで紹介し、
秋田を思う方々に、外からの新鮮な価値観を届けてみたいと思ったためです。
現在の上海はおそらく、世界でもっとも競争が激しく、可能性も有り、世界中から優秀な人が集まっている。
そんな場所で働く秋田県人からビジネスの話でも如何かと。

生まれ育った秋田に何か貢献出来ることはないのだろうかと思います。
日本の地盤沈下の象徴になりつつある地方。秋田も間違いなく、その中に入っている。
地方の活性化とは何か。自分なりに答えを求めて行きたい。

以前、TVで東国原元知事が言っていた言葉を思い出す。
地方を元気にとは何か?
何をもって元気というのか?との問いに対して彼はこう答えた。

「今の日本は、今日より明日が良くなると思えないから元気がない」。
「今日よりも明日が、明日よりも明後日が、良くなる希望を持っている事が活力に繋がり元気の源になる」。

そのような事を言っていたのが記憶に残っている。

秋田の人で中国での販売に可能性を求めている方がいれば力になりたいと思っている。
でも、国内はダメだから中国に行けば成功するなど簡単な考えでは失敗すると思う。
日本市場は家電製品に代表される通り、日本では日本製品しか売れない世界でも特異な市場です。
(これも、もう10年もすれば海外商品が溢れてしまいそうな状況ではあるが。)
それが、プロダクトアウトの考えをメーカーも小売店も消費者も捨てられなくなっていった。
勿論、そのような考えでは、中国以外の海外でも失敗している。
我々日本人は自国の日本商品へ過大評価がある。商売の基本である、マーケットインの考えを持って本気で取り組む事が海外で成功する最低限必要なことだと思っている。
簡単に言えば、消費者が欲しいと思うものを作って売る。
また、商品を消費者が欲しいと思わせる。
商売の基本である、その単純なことが一番難しく、日本、そして地方が、秋田が、出来ていないことなのかもしれない。
大手企業でなくても、子回りのきく中小企業にでもチャンスはある。

現在の上海についてレポートをしようと思う。
東北の震災以降、上海でも日本食品を扱う業者が大打撃なのは言うまでもない。
震災以降、よく思うのが全ての人が生きるために日々どこかで確実に戦っている。
それは、自分自身かもしれないし色々あるでしょう。
しかし、立ち止まって考える事も重要だけど、1歩踏み出さなければ、何も進まない現実がそこにはある。
時間も市場も世界も待ってはくれない。そして、それらは思ったより残酷です。

私たち、日本食品を扱う先駆者と言われる会社は、上海で5年掛けて日本食品の浸透のため活動してきた。
食は、その国、その地方の文化そのものです。まして、中国4000年の食文化に誇りを持っている中国人に対して、いかに日本食品を販売して行くか。今まで無くても構わない海外の食品を広め、安価な現地中国商品との価格差を理解してもらい販売する。血の滲むような努力だった。

しかし、その努力で売場に置けるようになった、日本食品が今消え始めている。
ひょっとしたら、このコラムを書いている23時、どこかの閉店後の店内の棚から日本商品がまた一つ消えているのかもしれない。
ここ上海では、日本食品は他の国より一足先に一定のブランドを築き、他の国が日本の後を追随している。
だが、この震災後大きな分岐点に立たされている。
フランス・韓国・オーストラリア・ニュージーランド、そして中国現地メーカーなどが、これはチャンスとばかり凄い攻勢で日本の持っていたシェアを奪い始めている。
今、重要なのは、売場から日本商品を減らさない事なのだ。
一度売場から消えてしまうと、取り戻すには並大抵の努力では取り戻せない。
売れるか売れないかは、今はもはや重要ではない。とにかく日本商品を少しでも減らさないでこの一番辛い時期を耐えることが重要になっている。
その後ろ盾であるはず日本側のサポートは今の所なにもない。日本国が発行する放射線検査証明も体制が整わず貿易さえ難しい状況だ。各社、もう少しで在庫は完全に無くなる。

上海の市場スピードは東京の3倍と言われている。
東京で働いていた私からすれば、東京の市場スピードはとても早いはずだったと思うが、
その東京のスピードに合わせているとまったく仕事にならないぐらい上海の市場は早い。
この日本の状態がこのまま続くようだと、風評被害が落ち着いた後には、取り返しの付かない悲しい現実が待っているかもしれない。

今年の夏以降から来年12月ぐらいまで、間違いなく食品を扱う日本企業にとっては、勝負の年になる。
そして、まだ上海に進出していない日本食品にとっては、最後の大きなチャンスになると思っている。
クラッシュ&ビルドが今の上海の食品市場の現状です。

東北の他県は、これまで中国で何かしらの成果を上げている。
しかし、この震災でこれまでの努力が実を結べなくなるとしたら悲しい。

中国およびEUなどが日本食品への12都県の輸入禁止措置があり、隣の山形もその中に入っている。
東北で実質動けるのは秋田・青森しかない。使える港も秋田にはある。空港もある。
国が作ったインフラを本当に有効活用するのは、我々民間で活動する者たちなのです。
東北の中国進出に秋田が必要な場所になると確信している。
貿易をする側からすれば、そのインフラがもったいなく感じる。
秋田が東北全体をけん引するような役割で居て欲しいという願いも含まれているかもしれない。

私の最初のコラムは、トヨタグループの「開祖」となる豊田佐吉の言葉で締めたいと思う。
大正10年に上海に進出する際に、中国進出に反対した幹部に向かってこう言った。

「障子をあけて見よ、世界は広いぞ」
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「台湾と秋田のつながり」(早川裕道さん-Shanghai)



海外の秋田人コラムリレー(第3回)

「秋田の地域活性化」 ~着眼大局・着手小局~ Vol.2

皆さん、こんにちは!
中国上海市在住の早川裕道(ハヤカワヒロミチ)です。少し間が空いてしまいましたが、アキタ朝大学のリレーコラムを続けていきます。
   
今回は日本の隣国である台湾の話題です。
先月発生した東北地方太平洋沖地震の海外からの義援金では台湾からの義援金が139億円(※1)で一番多くなっています。これは、台湾が親日的であり、また日本との歴史的な交流や経済活動の親密性があり、日本への関心度が高いためだと思われます。

人間も国家も同じですが、一番困っている時に助けてくれるのが最も信頼できる本当の友です。そういう意味では台湾は日本がもっとも信頼して良い、またパートナーとして一緒にやって行ける国・地域であります。

さて、では台湾と地元秋田の繋がりについて一つご紹介致します。
これはあまり知られていないことだと思いますが、秋田の田沢湖と台湾・高雄市(台湾第二の都市)の澄清湖は1987年(昭和62年)姉妹湖となっています。そしてその3年後には田沢湖湖畔には台湾側より「飲水思源(いんすいしげん)」像が贈られ、台湾の澄清湖湖畔には「辰子飛翔の像」が贈られました。(※2)

海外にいて秋田との繋がりのあるものを見つけるのは貴重な経験ですが、自治体や民間レベルではいろいろな交流が行われていることに改めて気付かされます。

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写真: 辰子飛翔の像(台湾 高雄 澄清湖)

次に台湾人に最も親しまれている日本人・八田與一氏について紹介します。
八田與一氏は明治・大正時代の土木技師で台湾の農業地帯で当時アジア最大規模の灌漑事業を成功させた人物です。八田與一氏に関しては、台湾の李登輝氏元総統の講演内容に詳しく紹介されていますので、長文ですが、それを引用させて頂きます。

○台湾の水利事業に尽くした故八田與一氏(李登輝氏の講演原稿より)
~引用開始~

台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一(はったよいち)について説明しましょう。
八田與一といっても、日本では誰もピンとこないでしょうが、台湾では嘉義台南平野十五万町歩(一町歩はおよそ一ヘクタール)の農地と六十万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。彼が作った烏山頭(うざんとう)ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称(たた)えられるでしょう。

八田與一氏は一八八六年に石川県金沢市に生まれ、第四高等学校を経て一九一〇年に東大の土木工学科を卒業しました。卒業後まもなく台湾総督府土木局に勤め始めてから、五十六歳で亡くなるまで、ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くしました。

(中略)

私の畏友、司馬遼太郎氏は『台湾紀行』で、八田氏について、そのスケールの大きさをつぶさに語りつくしています。

私は八田與一によって表現される日本精神を述べなければなりません。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を要約することによって明瞭(めいりょう)になります。

第一のものは、日本を数千年の長きにわたって根幹からしっかりと支えてきたのは、そのような気高い形而(けいじ)上的価値観や道徳観だったのではないでしょうか。国家百年の大計に基づいて清貧に甘んじながら未来を背負って立つべき世代に対して、「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を八田氏は教えてくれたと思います。「公に奉ずる」精神こそが日本および日本人本来の精神的価値観である、といわなければなりません。

第二は伝統と進歩という一見相反するかのように見える二つの概念を如何(いか)にアウフヘーベン(止揚)すべきかを考えてみます。現在の若者はあまりにも物資的な面に傾ているため、皮相的進歩にばかり目を奪われてしまい、その大前提となる精神的な伝統や文化の重みが見えなくなってしまうのです。

前述した八田氏の嘉南大圳工事の進展過程では、絶えず伝統的なものと進歩を適当に調整しつつ工事を進めています。三年輪作灌漑を施工した例でも述べたように、新しい方法が取られても、農民を思いやる心の中には伝統的な価値観、「公議」すなわち「ソーシャル・ジャスティス」には些(いささ)かも変わるところがありません。まさに永遠の真理であり、絶対的に消え去るようなことはないものです。日本精神という本質に、この公議があればこそ国民的支柱になれるのです。

第三は、八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行(きゅうこう)する日本的精神が脈々と存在しているからです。日本精神の良さは口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところにこそあるのだ、ということを忘れてはなりません。

いまや、人類社会は好むと好まざるとにかかわらず、「グローバライゼーション」の時代に突入しており、こんな大状況のなかで、ますます「私はなにものであるか?」というアイデンティティーが重要なファクターになってきます。この意味において日本精神という道徳体系はますます絶対不可欠な土台になってくると思うのです。

そしてこのように歩いてきた皆さんの偉大な先輩、八田與一氏のような方々をもう一度思いだし、勉強し、学び、われわれの生活の中に取り入れましょう。

~引用終了~(※3)

現在の世界はまさにグローバル化しており、日本人も世界中を舞台として活躍する時代になっています。日本人が海外において誇りを持って生きるための指針となるモデルが過去に示されているということは素晴らしいことです。

そのような先人の名を汚さないように、また、それを超えられるような壮大な志をもって行動していきたいものです。

早川さんのプロフィール
1970年 秋田県十文字町生まれ
高校卒業後、秋田を離れる。
社会人になってからは、貿易商社、外食産業、製造業などで海外業務に多く携わる。(主に中国関連)
現在は中国上海在住、「秋田の地域活性化」をライフワークとするために活動中。

早川さんの第一回掲載コラム~着眼大局・着手小局~ Vol.2はこちら
http://taroloves2eat.blog70.fc2.com/blog-entry-84.html

【参考資料】
※1: 台湾からの義援金(2011年4月13日時点)
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110418-00000020-mai-int

※2: 国土交通省 東北地方整備局 玉川ダム管理所 WEBサイト
   http://www.thr.mlit.go.jp/tamagawa/02koho/07ronrun/index.html

※3: 李登輝氏の慶応義塾大学での公演予定原稿「日本人の精神」全文 2002年
    http://www.a-eda.net/asia/leelec2002.pdf

 ・台湾基本情報 外務省WEBサイトより
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taiwan/data.html

「mini-Coworking and the City」(つっちー - New York)

「mini-Coworking and the City」 by つっちー

世界中の秋田人と県内在住者の接点を増やすこと、視点を共有することを目的に始まった「海外の秋田人コラムリレー」

第2回は最新のソーシャルビジネス動向に詳しい"つっちー"がNY滞在中に体験したmini-Coworking 体験の触りの部分をご紹介します。今アメリカで普及し始めている Coworking という考え方とはどんなものでしょう? 実際にCoworking Space という場所も増えてきているようです。

こちらの記事を読み、興味を持たれた方は"つっちー"のブログ(記事下にリンク)へ飛んでみて下さい。Coworkingについて詳しく知ることができます。秋田でも Coworking が普及すればステキだな~。

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「mini-Coworking and the City」

11月7日〜17日のNY滞在で、映画のようなワンシーンを体験した。

僕がスターバックスでラップトップを開いて作業をしていたときのことである。
僕は「ちょっと休憩しよー♪」と思って、iPadをいじっていた。

mini-coworking_convert_20110122112452.jpg

「Hey!それiPadかーい?(英語)」と、どこからともなく話しかけられた。
顔をあげると、そこにはPCを抱えたニューヨーカー(以下NY)が。

「そうそう!」と僕が応えると
NY「いやー、iPadいいよねー!僕も欲しいんだよねー!あ・隣空いてるかい?」
僕「うんうん!だいじょうぶ!」

そんな訳で隣あって作業をすることに。

しばらく作業し、ちょっと興味本位で「ニューヨーカーのデスクトップって見てみたーい^^」と思い、
隣のニューヨーカーのPCを覗き込んでみた。

そこにはUbuntu Linuxのデスクトップが映っていた。

僕もPCにはWindows7とUbuntuをデュアルブートさせて使っている。

とても嬉しくなってしまい、
僕「Oh!あなたはLinuxユーザーなんだね!僕も使ってるよー!」って声をかけた。

そうすると「Oh!Do you know?君は開発者なの?」と。

僕「プログラミングは今勉強中で、どちらかというとWEBデザインとかサーバー管理だよー!」
と答える。

NY「Oh!僕は開発者なんだけど、デザインはあんまり得意じゃないから、今作ってるWEBサービスの
WEBデザインしない?」

きっとジョークだと思って「Oh!Really?面白い!やるやるー!」と冗談まじりに答えたところ 、

NY「じゃあここに君のアドレスと名前書いていって!メールで相談しよう!Are you Chinese?」

僕「いや、日本人だよ!え・本当に?僕今旅行でこっちにきてるんだけど大丈夫?」

NY「問題ないよ!そのためのネットじゃないかー!メールもSkypeもある!わくわくするねー!」

ユースホステルに戻りメールをチェックすると、確かに彼からのメール。

NYのカフェで繋がった。

ダニエル・ピンク「フリーエージェント社会の到来」によると、

アメリカの労働人口の4人に1人が、本書で言う「フリーエージェント」という働き方を選んでいる

とのこと。

彼らは、”自分の仕事をつくる”ために、そしてその仕事を達成するために、カフェや、オープンスペースや、
それこそコワーキングスペースのような場所で、繋がるために自分のプロジェクトをオープンにする。

その仕事を達成するために、自分が欲しい力は何か、はっきりと提示し、ちゃんと会話をして、一緒に考えながら
人の力を借りながらプロジェクトを成功させようとする。

そんな働き方に近い体験を、スターバックスでミニコワーキングのような体感をした。

彼は32歳のアメリカ人、僕は23歳の旅行中の日本人。

そんなの関係なく、誰もが主人公で、フラットに繋がり合って仕事をしている。

お互いの持っている力をお互い敬いながら仕事を創りだしている。

そんな働き方を身を持って感じ、心震えた。

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つっちーのプロフィール
twitter: @syoteppachi

慶應大学SFC卒、社会起業、アカペラ(KOE06)、秋田、ソーシャルメディア、いのけんモンキーズ(井上英之研究室OB)。3歳でPCキーボード、9歳でMacに触れる。高校のとき、ホワイトバンドのポータルサイトを作成。大学では社会起業を学び、現在大手EC企業の社員でありながら、個人的に海外の先進的なソーシャルメディア、ソーシャルビジネスについても研究中。その他、ヨーヨー、DDRなど。

Coworking についてもっと知りたい方は以下の"つっちー"のブログへGO!
mini-Coworking and the City
コワーキング・スペース「New Work City New York」Vol.1
コワーキング・スペース「New Work City New York」Vol.2
コワーキング・スペース「New Work City New York」Vol.3

「秋田の地域活性化」(早川裕道さん-Shanghai)

アキタ朝大学の目的の一つに世界中に住む秋田出身者と県内在住者をつなぐことがあります。

その試みとして、海外に住む秋田人(秋田出身者、もしくは秋田と縁のある方)にリレーでコラムを書いて頂きたいと思います。

今の時代、誰でも手軽に世界中の情報を得ることが出来ます。
しかし、海外で生活する秋田人の生の声を聴く機会はなかなかありません。

故郷から遠く離れているからこそ感じる故郷への思い、秋田人の目から見る世界の様子、「秋田つながり」という親近感があるから普段は気にしない海外の話でも身近に感じるのではないでしょうか。

第1回は横手市十文字出身で、中国の上海在住の早川さんにお願いしました。(何回かシリーズでお願いしています。)

今後は様々な国に住む秋田人の方々にコラムを執筆して頂けたら嬉しいです。執筆にご興味のある方は tarokanazawa@gmail.com までご連絡下さい。内容は事前にご相談させて頂きますがテーマは問いません、また文章でなくても写真集や映像でもOKです。条件は秋田と縁があり(定義はおまかせします 笑)、海外在住の方、または県内在住で頻繁に海外との仕事をされている方。ご応募お待ちしております。



海外の秋田人コラムリレー(第1回)

「秋田の地域活性化」 ~着眼大局・着手小局~ 

(中国・上海在住、横手市十文字出身、早川裕道さん)

皆さん、こんにちは!
私は早川裕道(ハヤカワヒロミチ)と申します。
この度、金澤さんが主催するアキタ朝大学の企画としてリレーコラムで出筆することになりました。

読者の皆さんは私のことを知らないと思いますので、コラムの始めに簡単に自己紹介します。
1970年、秋田県南の十文字町(現在は横手市)生まれです、高校までは秋田に住んでいました。その後、大学卒業後、縁があって北米や台湾に行き、現在は中国の上海市に住んでいます。
中華圏でのビジネス経験は15年ほどになります。

さて、なぜ私がこの度、このアキタ朝大学で「秋田の地域活性化」に関するコラムを書く事になったのか、これは上記の私の経歴にも関係しますが、どうしても秋田の地域活性化に貢献したいという熱い思いがあるからです。

秋田での子供の頃の思い出ですが、冬になると天気はほとんどどんよりとした曇り空か雪でした。(下の年間日照時間のグラフを見ると明らかですね)しかし、テレビの天気予報を見ていると太平洋側の隣県の岩手や宮城は晴れの日が多いのです。これは不公平だなあと子供心に感じていました。単純ですが、この思いが私を外の世界に駆り立てた一因でした。

日照時間
出典:気象庁

なんとか念願かなって海外に住んで気持ちに余裕ができると、日本のことが何かと気になるようになります。インターネットやテレビで日本のニュースを見るのですが、日本に居る時とは違い、常に自分が住んでいる国(今は中国ですが)との比較対象として客観的に日本を観ることができます。ちょっとイメージしにくいかもしれませんが日本とどこかの国を比較しながらニュース報道や事象を判断しているということです。日本に居ても、例えばアメリカや中国との比較はできるのですが、どうしても日本を中心に物事を考えてしまいがちです。日本に住んでいるのですから当然のことですが、自分を一歩引いた場所に置いて、冷静に日本を外側から観るということはなかなか難しいことです。

そのような立ち位置で日本や秋田を眺めているといろいろと気付かされることがあります。日本や秋田の良いところや悪いところが際立って見えてくるのです。

私は年に1、2度秋田に帰省しますが、そのたびに秋田の過疎化や経済的な衰退が進んでいることが分かります。道路を車で走っていても、住宅があった場所が更地になり間引かれていたり、悲しいことに商店街もシャッター通りが多くなっています。そこに住んでいる人達は、毎日目にする光景なのであまり意識しないかもしれませんが、年に1回定点観測的にチェックしていると変化がはっきりと見て取れます。私は経済発展が著しい上海に住んでいますので、その違いがあまりにも鮮明なのです。
  
下のチャートは秋田県、日本と世界の経済成長率(実質)のここ12年ほどの推移です。経済成長率は国内総生産(GDP)の対前年増加率です、経済成長率(実質)は名目GDP(国内総生産)から物価変動による影響を取り除いた実質GDPの成長率です。県の場合は県内総生産(実質)の成長率となります。

経済成長率
  
チャートをご覧頂くと分かりますが、世界全体の経済成長率と比較して日本や秋田の場合は10年以上ほとんど成長がありません。
このことに関しては大きな危機感を持つべきでしょう、世界全体というのは先進国は勿論のこと、中国などの新興国やアフリカ諸国などの後進国も全て含まれています。世界が毎年3%前後で成長しているのに、日本や秋田は10年以上もほぼゼロ成長を続けている落第生ということになります。(勿論、今までの蓄積がありますので、日本は名目GDPでは世界第2位、一人当たり名目GDPでは世界第17位です[2009年]※1)
このように日本は世界経済の成長に取り残された存在であると言えます、これは毎年8%以上の成長を続ける中国にいて見ているとはっきりと分かります。

秋田は高齢化や過疎化などの社会構造的な問題を抱えていますが、なんとか地域経済の活性化に貢献できるようにこのコラムを通して読者の皆さんや秋田の人達と相互交流し、知恵を出し合い活動していきたいと考えています。

最後になりますが、このコラムをお読みの皆さまで、中国ビジネスに興味がある、何かやってみたいという方がいらっしゃいましたら、無料でご相談を受け付けますので、下記までEメールをご送付下さい。またご意見やご感想も待っていますので、よろしくお願いします。

早川裕道 Eメール:zaochuany☆gmail.com (☆印の代わりに@を入力して下さい)

参考資料
※1:世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング (世界経済のネタ帳)
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html

早川さんのプロフィール
1970年 秋田県十文字町生まれ
高校卒業後、秋田を離れる。
社会人になってからは、貿易商社、外食産業、製造業などで海外業務に多く携わる。(主に中国関連)
現在は中国上海在住、「秋田の地域活性化」をライフワークとするために活動中。